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電脳のレリギオ

ドミニク・チェンの「電脳のレリギオ」が発売された。 情報化社会において私達のコンパスになるべく書かれたものだ。 曰く、情報化社会において、否応なく進展する私達の身の回りの電脳化に対して、流されるわけでも拒否するわけでもないつきあいかたを考える本だ。

電脳のレリギオ:ビッグデータ社会で心をつくる

電脳のレリギオ:ビッグデータ社会で心をつくる

かっちりとした文章というよりは色々と示唆に富む話が多かった。特に、彼らが提供しているPicseeiTunes の App Store で配信中の iPhone、iPod touch、iPad 用 Picsee - カメラロールを共有するプライベートなビジュアルコミュニケーションの話は面白かった。

以下、彼の本を読んで思いついたことをズラズラと書く

人間は悪魔になるには、粗忽すぎる。
ラプラスの悪魔
悪事は「うっかり」ばれる。
あんまり無茶苦茶やらない方に倒しておこう。
NSAは米国政府というガバナンスの問題。
つまり、強すぎる権限の問題。
何かを秘密にするには、ばれても、あまり追求されないという法の保護が必要。
Googleで同じことは出来ない。
完璧に何十年にも渡って存在を秘匿できる組織を運営するなどほとんどの国は出来ない。人はうっかりばらしちゃうので。
むしろ、バレた際に内部に手を突っ込まれないような組織防衛が出来るシステムが必要。
テロリストは良い隠れ蓑になる。
多くのデータが集まれば精度は高くなる。グーグル
不自由を実装する。
CPU,OS,コンパイラを作る。
再接続でインスタンスを作る。
レリギオ
ココロのインスタンスを作り直す。
セカンドライフの縮小版としてのニコニコ動画
理系と文系が奇妙に同居する
twitterを初めて触った時には有益なことを言わなければと思ったがどうでも良くなった。
情報には過去がない
生産する機械はあるが消費する機械は無い。
パラメーターの加工修正はこれを認めない。
日銀化するゲーム運営。貨幣の価値を徐々に落とす。
テロリストが居ない社会の実現
インターネットは価値を内容する。
我々は監視されている。
我々は監視する。
バグの存在は人を豊かにする。
人間は元来粗忽者である。
接続の意味は神じゃなくて人との接続だった。
弔われる権利

途中NSAが出てきたが、ちょっとNSAの例は特殊なのでは無いかと思っている。NSAのような組織が世界中の政府や民間団体からポコポコ生まれてくるかというそれはないだろうと感じる。というのもNSAに必要なのは科学技術ではなく、やっていることが露見しても野党の議員が調査できないような強い権限だからだ。実際のあの手の組織を運用できるのはアメリカと中国ぐらいなものだろう。

全般的に面白く読めたが、よく読んだらあまりビックデータに触れられてないのと、ちょっとアーキテクチャーに強い全能性を与え過ぎな気がする。

濱野さんの環境管理型権力にも繋がるが、エリートの設計に若干夢を見過ぎではないかと感じる。あたかも、エリートが設計したシステムによってユーザーがコントロールするみたいな書きぶりの所があるが、オンラインゲームやオンラインエンターテイメントのエンジニアや企画が繰り返しユーザーに教えられるのは、如何にユーザーは開発者の思い通りに動かないかということの方だ。

エンジニアが情報論を読むと、若干陰謀論めいた感覚に陥るのは、自分たちが作るものが如何に脆弱でしょぼいものであるか繰り返し思い知らされるのに、外部の人は異様に凄いものの様に捉えてしまうという点にあるのかも知れない。

何にせよこの本は情報化社会を考える上で一つの羅針盤になることは間違いないだろう。