弱者男性とフェミニズム

弱者男性をめぐる議論

弱者男性とフェミニズムの話がはてなで人気だ。

弱者男性の救済にフェミニズムが何の役割も果たしていないという異議申立てがなされた。

togetter.com

その話を補強するエントリーがこちら。

1)フェミが弱者男性の弾圧に一役買っているということ anond.hatelabo.jp

それに対する反論

2)いい加減“弱者男性”をフェミニズム批判の道具にするのをやめろよ。 anond.hatelabo.jp

上のエントリーと下のエントリーは話が噛み合っていない。上のエントリーが強者女性の話をしているが、下のエントリーは女性一般の話にすり替わっている。

フェミニズムと弱者男性を語る場合、次の2つのことはよく出てくる。

  • 強者女性と、女性一般の話の混乱
  • 何故、弱者男性は、フェミニストにその境遇を語るのか?

議論を先取りしてしまうと、フェミニズムには、「自分が強者になった後」の理論が弱い。そして弱者男性がフェミニズムに向けて、何らかのケアを要求するのは、将に「それがかって彼女たちがやったから」だ。

女性の地位向上と男性の地位下落

昔、女性の地位が低く、また男性であれば高い地位が保証されていた時代があった。

図示すればこんな感じ。

f:id:shibacow:20150524152405p:plain

女性の地位は低く、男性は正社員として雇用され比較的近い集団だった*1

しかし、女性運動の進展とその後の低成長、デフレ経済、不正規雇用の拡大によって次のように変化した。

f:id:shibacow:20150524153943p:plain

つまり、女性の地位が向上し、逆に非正規雇用や長期の不況のより正社員になれず身分の不安定な男性が多くなった。

この変化がフェミニズムででは見過ごされ、男性や女性は一枚岩であるというところで認識が止まっている。

だから例えば次のようなことが起こる。

f:id:shibacow:20150524204702p:plain

例えば、女性大学教員年収800万)が、男性非正規雇用(年収300万)に対して、差別撤廃に尽力すべしと言う。本来社会的な地位があるのは、女性教員の方であるが、何故は彼女たちは自分自身が権力を持つと自省しない*2

社会運動の戸惑いという書籍の出版記念座談会で次のように言っている。

d.hatena.ne.jp

いつまでも被害者面ばかりを前面に押し出してフェミニズムを唱えてていいのか。フェミニストが行政と組んで男女共同参画政策を進めたり、大学にポストを多く得るようになったりして、ある意味、社会的には強者とみなされるようになった時点で、自らの権力について問うたり、女性を被害者としてのみ見なしがちな理論や知見を洗い直す必要があったのに、それをしてこなかったんだなと思っている。

斉藤の訴えていることは、上の指摘につながる。

上の2つのはてな匿名ダイアリーの話もすれ違っており、それは次の2つの面にフォーカしているからだ。

図示すればこんな感じ

f:id:shibacow:20150525020407p:plain

つまり、1のエントリーは、強者女性の負うべき応答義務は何かという点にフォーカスしているのに2のエントリーは、女性全体の話になっている。(だから女性全体の平均賃金が出てくる)。でも1のエントリーで言及したかったのはむしろこんな図だ。

http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h23/zentai/html/zuhyo/zuhyo_img/zuhyo01-02-13.gif

平成23年版男女共同参画白書|内閣府男女共同参画局

役職者になる女性は増えており、そのため強者女性も増えていることが伺える。その中にフェミニストも居るだろう。彼女たちは応答義務はないのかというのが1の主張だと思う。だから、女性一般や弱者女性を例に出すのは、すり替えだろう。

自分自身を強者と見なさないフェミニズム

フェミニズムに自分自身を強者とみなす理論は無いのではな無いか?そのような例を見てみる。

少し前の雑誌であるが、女性学vol8に面白い論文が載っている。

ci.nii.ac.jp

英国におけるブラック・フェミニズムの現在--「ブラック」という概念をめぐる議論から見えてくるもの

が、それだ。

この論文は英国におけるフェミニズムについて論じたもので、日本と大きく違うのは、性別の区別以外に、人種(黒人、白人その他の人種)という要素が加わることだ*3

その中で黒人フェミニストが、「ユダヤ人」の白人フェミニストや「キプロス人」の白人フェミニストを、白人という権力者階級に属しているではないかと批判した。図にするとこんな感じ。

f:id:shibacow:20150525021435p:plain

つまり、白人フェミニストは白人という優位な人種に属しており、女性の連帯を掲げるが、現に黒人を抑圧しているではないか?と。

そしてそれに対して、当のユダヤ人の白人フェミニストはこのように答えた。私達も白人間では迫害されていると。

つまり、ユダヤフェミニストが黒人に対する抑圧に加担しているかどうかには直接答えず、自分立ちもまた被害者であると主張したのだ。

この話が示すように、フェミニズムは自分たちが被害者・弱者であるときは弁舌が鋭いが、加害者・強者であるときは、ほとんど無言になる。白人のユダヤフェミニストが語ったように、自分の加害者性は無視して、自分が如何に被害者・弱者であるかばかり語る(その際に、支配階級は別に居る、自分たちは支配者ではないという言説を語る)という性質は日本のフェミニストもまた共有しているのかも知れない。

自分たちが使ったロジックに自分がさらされる。

次に、何故弱者男性は、フェミニストに窮状を訴えるのか?を考えていこう。多くの人が指摘するようにそこには具体的な要求は少ない。彼らは何を言わんとしているのか?

女性運動を図示するとこのようになる。

f:id:shibacow:20150525030508p:plain

女性は(公正を元に)要求を出し、強者男性は、渋々それに応じてきた*4

そして同じ構図で、強者女性に向けて、弱者男性が窮状を訴えた。

f:id:shibacow:20150525030515p:plain

上の図と、同じ構図だが、プレイヤーは入れ替わっている。強者男性の位置に、強者女性がおり、女性の位置に弱者男性が居る。 弱者男性は、昔女性がしたように訴えたが、返ってきたのは、無視か甘えるなという言葉だけだった。

弱者男性に具体的な要求は無いと書いた。彼らはむしろ、むしろある疑いを晴らそうとしているのだ。女性たちの訴えは「公正」を巡るものなのか?そうでなく「自分たちの都合」だけのことなのか?「公正」なら何故自分たちは応答しないのか?「自分たちの都合」ならむしろ強者男性が彼女たちに応答する意味は無くなる。

強者男性には「公正」(法の下での平等)を掲げ要求を通し、一方自分たちが強者として弱者男性への応答を無視するならそれは欺瞞ではないか?弱者男性はそのような疑いを持っている。

弱者男性が、強者男性に直接要求しないのは、そもそも強者男性は「公正」を旗印に他者にあれこれ要求することは無いからだ(支配階級なので公正ではなく権力で言うことを聞かせられる)。

弱者男性は、強者女性トが「公正」を旗印に自分たちの要求を通して、地位を獲得したらな、我々も無下にはしないだろうと期待した。

つまり、強者女性は自分たちが用いたロジック(公正さ)を自分たちに向けられた訳だ。

この話は上の、強者であることに自覚的で無いフェミニストの話と繋がっている、自分たちが地位向上の運動をして、その結果女性の地位が向上する。その結果強者となる女性も出てくる。強者になるのだから当然他の弱者から要求が出てくる。しかし、彼女たちはそれをどのように受け止めれば良いかわからな無いし、強者としての応答義務を果たすということも理論化出来ずに居る。

つまり、地位向上の運動をするが、その結果として何が責任として生じるかに無自覚だったのだ。地位向上の運動が成功すれば成功するほど、女性たちはかって強者男性たちが居た場所を占めるようになり、自分たちがかって批判した「強者男性」にならないために何をなすかという理論が重要になってくる。

当然だがこの話は、全く言及されない弱者女性に対して何もしなくて良いという話ではない。彼女たちの窮状は救わねばならないが、だからといって強者女性が応答しなくて良いという話にはならない。

結び

この論を男性の妄想だというのは容易い。けれども、文中に引用した

いつまでも被害者面ばかりを前面に押し出してフェミニズムを唱えてていいのか。フェミニストが行政と組んで男女共同参画政策を進めたり、大学にポストを多く得るようになったりして、ある意味、社会的には強者とみなされるようになった時点で、自らの権力について問うたり、女性を被害者としてのみ見なしがちな理論や知見を洗い直す必要があったのに、それをしてこなかったんだなと思っている。

という問題が無くなる訳ではなく、女性の地位向上という運動が成功すれば成功するほど、彼女たちが忌み嫌っていた「強者男性」の地位を占めていく。その時、強者女性が、かっての強者男性と同じように抑圧的にならないことを願うばかりだ *5

参考文献

フェミニストが、強者女性として、地位を獲得した後、どのように振る舞うべきかどのような倫理があるのか、かっての「強者男性」の様に抑圧的にならないためにはどうしたら良いのかとか書いた本や議論てあるのだろうか?あったら読みたいので教えてほしい。

社会運動の戸惑い: フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動

社会運動の戸惑い: フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動

草の根保守やフェミニズムの権威化についてフィールドワークを重ねながら詳しく論じている。良著なのだが、あまりフェミニズム界隈で言及している人が少ない。フェミニズム自らの権力性について考えるための良い資料になっている。

同じく女性学の権威化について論じている

タイトル間違っていたので修正しました→ フェミニにずむ→フェミニズム

*1:一億総中流、男性サラリーマンに女性専業主婦がモデルケースになっていた。実際にはそれに当てはまらない人も大量にいたがあくまでモデルケースとしてはこれがモデルケースになっていた

*2:別に男性非正規雇用に言っている訳ではなく、男性一般に言っているが、強者男性にのみ伝えるという配慮は無い

*3:日本にだって民族差や人種差に基づく差別もあるが、それがフェミニズムの対立を生んでいるわけではない

*4:フェミニストはまだまだ足りないと言うだろうが、それでも男性ばかりの議会で男女同権に向けて法整備がされたのは事実だ

*5: シスターフッドがあるから暴走しないみたいな話はあまりに根拠が弱すぎる。女性同士の集まりであるWANだって、WEBの管理を巡って相当やりあったじゃない。