読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

CGMは儲からない

芝尾幸一郎 @shibacow

この文章はボカロ批評誌「VOCALO CRITIQUE」Vol06に寄稿したものを若干改変したものだ。
この小論は、2012/10に書いたものだ。文中で言及した動画などへのリンクを追加している。
「VOCALO CRITIQUE」は通信販売で手に入るので良ければ買ってほしい。

CGMは儲からない。

この文章の主題はCGMは予想より儲からないと言うことだ。そしてそれは二次創作が、贈与文化と同じ様に機能し、プラットホーマーは、あたかも未開地の酋長のように、ポトラッチを実行せねばならず儲からないという論である。

一見、CGMはユーザーがコンテンツを製作するため、企業は製造コストがかからず儲かるように見える。
しかし企業はユーザーのサービスに対する忠誠心を維持する必要がある。
そのため、CGMを扱う企業は想定より儲からないと言うことだ。

その理由を説明するため通常の市場経済ではなく、未開地で行われていた「贈与経済」を取り上げ、CGMとの類似点を指摘する。
その後、ポトラッチと言う未開地で行われていた贈与経済の現象が、実は現在の日本で行われており、それが超会議だったのではないかと言う話をする。

CGMは儲かります。

CGMは、ユーザーが勝手にコンテンツを作ってくれる。
そのため通常であればかかるはずのコンテンツの製作コストはかからない。
たとえばビジネス誌等では、ユーザーからのCGMを使うことで、製造コストを下げることができると言う話が散見される。
またイラストCGMサイトPixivでも、ソーシャルゲームの会社が、イラストコンテストを開き、その応募作の扱いが不明瞭なことから問題になった。
コンテストと銘打ちながらあたかも安価なグラフィック素材収集のように見えたようだ。
つまりユーザーを無料で働かせることで本来なら支払わなければならないコンテンツの製造コストを支払わずに済ませようと言う魂胆が見えたのだ。

この様な事例から、CGMを使えば、儲かると、考えられる風潮があるのだろう。
しかし、それはプレゼントをもらって、お返しをしなければ儲かると言う主張に似ている。
言っている事は確かに間違いではない、「一回目」は上手く行くだろう。
しかし、永続的な関係は築けない。

企業はひとつのコンテンツを作れば終わりと言う訳ではない。
第2、第3のコンテンツを作っていかなければならない。
もし、CGMを活用しようと思えば、ユーザーと長期的なやり取りを行わなければならない。 そのためには、信頼関係の構築や忠誠心の獲得を行わなければならない。
それは通常の市場取引よりも、太古に行われた贈与経済に近いのではないか?

次の章では、贈与経済とは何かについて見て行く。

贈与経済って

贈与経済は、プレゼントとそのお返しを中心とした経済のことである。
市場経済と対比すれば分かりやすい。
市場経済では、品物・サービスと貨幣の交換は「同時」に行われる。
しかし贈与経済はそれとは異なり、プレゼントをもらった側は、それと同時にお返しをしなければならないという決まりは無い。
つまり「同時発生」の等価交換ではない。
けれど、プレゼントをもらった人は何らかのお返しをしなければならないと言う負い目を追うため、程なくプレゼントを送る。
再度、プレゼントを貰った方は、再びプレゼントを送り返す。
このような贈与-返礼の連鎖が続いていく。
卓球のラリーに近いイメージだ。
あるいは、親戚づきあいや、田舎で行われる食べ物の交換をイメージしても良いかも知れない。

ニコニコ動画に上げられる動画もそのような贈与の連続で成り立っているのではないか。
ある人がボカロ曲を上げ、別のある人がそれを元に踊って見て、それを元にある人が、PVをつける、この一連の動きを、贈与経済として見て行けば理解が深まる。

ニコニコ動画を語る際に、良くN次創作と言った言葉が使われる。
ある人が、ボカロ曲を投稿し、別のある人がそれを元に踊ってみて、さらに別の人がPVをつけたり、MMDで踊ってみたのトレースを行ったり、創作の連鎖が広がっていくことをさしてその言葉を使っている。
しかし、N次創作は何故人が創作の連鎖を行うのか説明しているわけではない。
私は、N次創作が贈与とその返礼を基に行われているのではないかと考える。
次章では、ニコニコ動画での贈与ー返礼の実例を見ていこう。

ニコニコ動画における贈与-返礼の実例

探査機はやぶさの例

「探査機「はやぶさ」作ってみた」という動画がある。

その中で行われたやり取りを紹介する。

実物大のはやぶさを作っている人が、実物大はやぶさモデルを作る上で、小惑星イトカワの模型がほしくなり、庄松屋さんというUp主に協力を依頼した。
二人は色々と協力して何か作っていたらしい。
彼は、発泡スチロールの表面がイトカワに似ているね。という訳で、「適当に作って。それっぽく」と、お願いした。
しかし、庄松屋さんが適当に作ったといって持ってきたものは、CADデータからNCで「適当に(笑)」削りだした。
千分の一と、三千分の一の「正確な」惑星イトカワモデルだ。
当然、「適当」なんてレベルではなく、プロ顔負けの精巧なイトカワモデルが出来上がることになる。
この二人は別に契約関係や金銭の授受があったわけではない。
実物大はやぶさモデルを作っているUp主(yuyaさん)の熱意を見て、「適当」のレベルがトンでもなく高くなっただけだ。
yuyaさんの作ったものや熱意がある種の無形の贈与となり、それに返礼する形で庄松屋さんが、プロ顔負けのイトカワモデルを返した。
贈与とその返礼の例だ。

yuyaさんが作った実物大はやぶさ

適当に(笑い) 1000分の1スケールイトカワモデル

↑適当に(笑)作られた1/1000イトカワモデル・・・。

恐山ル・ヴォワールの例

恐山ル・ヴォワールという詩がある。シャーマンキングのコミックに劇中詩として登場する。
「かぴたろう」というニコニコ動画の一ユーザーが、その詩を元に作曲し、VOCALOIDで曲をつけ、ニコニコ動画に投稿した。
シャーマンキングの作者「武井宏之」に製作事後報告を行ったところ、作者より歓迎の意を貰う。
その後、同曲を、シャーマンキングで声優を務めた、林原めぐみがカバーし、ニコニコ動画に投稿、。
大ヒットとなった。

つまり、シャーマンキングの劇中詩に、返礼としてかぴたろうが曲をつけ、その返礼として、林原めぐみがカバーした。
アマチュアの作曲家にとって、プロの声優が自分が書いた曲の歌を歌ってくれるなんて、なんて凄い出来事だろう。
しかしこれは、シャーマンキングという作品に対する贈与と返礼の連鎖が生み出したひとつの奇跡の形なのだ。

詳しくは、ニコニコ動画恐山ル・ヴォワールの項目を参照して欲しい

コンテンツツリーと返礼

コンテンツツリーは、ニコニコ動画の一サービスで、動画投稿者が自分が影響を受けたり、元の素材にしたりした動画を親作品として登録できるサービスだ。
子作品のwatchページに、親作品は一緒に紹介される。
これはまさに、贈与の対する返礼として機能している。
影響を受けたり、素材を提供してもらった(贈与)に対して、作品を作り、親作品として元の作品を登録することで、それがある種の返礼行為になっている。

この様な例から、ニコニコ動画は、動画の投稿を通して、(贈与)-> (返礼) の繰り返しで成り立っているのでは無いかと考えられる。

実際に、コンテンツツリーにどのような作品が登録されているかランキングが作られている。 コンテンツツリー子作品ランキング。を参照。

次章では、贈与文化の他の側面を覗いてみよう。
主に取り上げるのは、超会議とはなんだったのかと言う点と、CGMと企業の付き合い方について、カオスラウンジは何故叩かれたのかと言う話だ。

ニコニコ超会議はポトラッチである

ニコニコ超会議とは

ニコニコ超会議ドワンゴが毎年ゴールデンウィークに行っているニコニコ動画を地上に再現することを目的としたイベントだ。

第一回目は2012年4月28日29日と千葉県の幕張メッセで行われた。
どのようなイベントであるか一口で説明するのはとても難しいのだが、いうなればニコニコ動画の巨大な文化際と言った類のものだ。
その場所では、歌ってみたのステージあり、踊ってみたのステージあり、作ってみたのイベントありと、何でもありのお祭り空間みたいなものだった。
実際に幕張メッセに足を運んだユーザーは9万人程度、ネット視聴者は300万人を越え、一大イベントになった。

ニコニコ動画ユーザーが集まって、互いの絆を確認しあえると言う意味に於いて、面白いイベントだった。

ポトラッチとは

ポトラッチとは、文化人類学用語で贈与経済の一形態として見られる行為のことを指す。
もともとは、アメリカ北西部のインディアンたちの言葉だ。
ポトラッチの意味は、もともとは単なる贈り物だったものが、お互いにもらったプレゼントより良い物を送り返そうとした結果、徐々に贈り物が高価になっていき、やがて贈り物のインフレーションを呼び起こす現象をさす言葉だ。
一般的に贈与-返礼のインフレーションをさす言葉として認識されている。
過剰な贈与は、しばしばその物品をもらった直後に破壊されるなどしたため浪費を促すと見られた側面もある。
確かにそれは、度を越した大判振舞いといった面もあった。

現代のポトラッチ

私は超会議に参加して、これは現代のポトラッチだと思った。
では未開地で行われたポトラッチと、どのあたりが似ているのか。
それは、ありえない赤字額と、ユーザーが望んでいるかどうか良く考えて無い、なんか良く分からない大判振舞いだ。

超会議は、大赤字だったそうで、イベントの赤字額で言えば、4億7千万円の赤字だったそうだ。参考サイト
その後も、赤字幅はだいぶ減ったが、超会議の赤字は続いている。
しかも、それに飽き足らず、この夏ニコニコ町会議と銘打ち、日本全国の町に対して、無料で超会議と同じ様なイベントを行ったり、超会議2も行った。
どのイベントを見ても赤字必至だ。
けれどもドワンゴはあまり気にせずやるようだ。
この振舞いはきわめてポトラッチ的だ。
つまり、大判振るまいでイベントを開くことで、ニコニコユーザーの忠誠心(ロイヤリティ)を高めているのだ。

ユーザーが超会議を望んでいるかどうかは良く分からない。
ネットの中ではそれよりサーバを増強せよとの声もあった。
しかし、プレゼントとはあまり役に立たないものとの相場が決まっている(結婚式の引出物を思い出そう)。
つまりこれはあくまでドワンゴ側のプレゼントであり、実質的に役に立つものかどうか二の次なのだ。
ドワンゴとしてはそれよりも、ポトラッチとして、祝祭空間を演出できたほうが良いと考えているのだ。

CGMと企業、二つの例

この章では、実際にCGMと企業がどのように交流したか見てみよう。
最初の例は、成功例。
次の例は失敗例だ。

初音ミクとファッションコラボ

一例目は、初音ミクファッションブランドにと言う試みだ。
2012年春、ファッションブランド「earth music&ecology」が、初音ミクとコラボレートした「earth music&ecology Japan Label」と言うレーベルを立ち上げた。
初音ミクをあしらったカットソーやパーカーが売られた。
そのインタビュー記事の中で、仕掛け人は以下のように語っている。

秋元 ぼくらも作り手さんたちをとにかく大切にしたいと思っていて。
それはクリプトンさんと一緒なんです。
初音ミクを売りたいと思ってるのは自分たちだけど、それを支えてくれてるのは全部の作り手さんたちなんだと。
だからクリプトンさんからも、とにかく絵師さんを大切にしてあげてくださいと言われています。

と、つまり、これは単に、初音ミクとコラボレートしたというにとどまらず、それを描く絵師も主役にしたコラボレーションとなった。

イラストコンテストと銘打っての素材集め

一方で、CGMの取り込みに失敗した企業もある。
イラスト投稿サイトの雄pixivが株式会社インパクトと行ったイラストコンテストがそれだ。
所謂ソーシャルゲームのイラストコンテストであるが、コンテストと銘打ちながらその実体は、ソーシャルゲームのイラスト素材を安く買い叩くために行われたコンテストではないかと言う嫌疑が持ち上がった。

詳しくは、下記ブログを参考にして欲しいが、そのブログによれば、同社は過去に、アルティメットセブンイラストコンテストと言う同様のコンテストを行い、結局、入賞作をきちんと公表しなかったばかりか、入賞者も自分の絵がどのようにゲームに反映されたか、一般のゲーマーと同じようにお金を払ってゲーム世界に見に行かなければならないという話しだった。
これでは、イラストコンテストに名を借りた単なる素材提供者の買いたたきではないかとブログ主は結んでいる。

Pixivと株式会社インパクトの共同企画が許されるべきではない理由

前段で、CGMニコニコ動画は、贈与ー返礼関係で成り立っていると書いた。
そしてそのような関係は、pixivのようなイラスト投稿サイトでも見られる。
そして、先にあげたソーシャルゲームのイラストコンテストはその贈与ー返礼関係を、悪用したものだ。
普通の取引(市場取引)であれば、お金をもらっていないのに、ソーシャルゲームのイラストを書くなどありえない。
しかし、CGM文化では、贈与ー返礼と言う形で、返礼を後に伸ばせる。
そのため、先にイラスト素材だけ提供させ、返礼を匂わせながら結局返礼しないと言う方法が取れる。

言うならば、プレゼントをもらって於いて、そのまま、逃走してしまうようなものなのだ。
実際に、未開地での贈与文化の中でもそのようなことが起きる。
モースの贈与論の一節に次のような話がある。

相互贈与で成り立つ社会にも、プレゼントをもらっていて返さない人たちがいた。 そのような贈与を受けながら返礼を行わない人物は彼らの言葉で顔の腐った者と言う名で呼ばれ蔑まされた。 なぜなら、返礼を欠く行為は、贈与文化が拠って立つやり取り自体を破壊してしまうと彼らも考えていたからだ。

カオスラウンジは何故叩かれたのか

カオスラウンジと言う現代アート集団がいる。
彼らはある出来事きっかけに、ネット住民達の怒りを買ってしまう。

彼らの中の主要メンバーである梅沢は主にネット上にアップされたイラストを、コラージュしたり、加工して新たな作品を作ることで知られている。
彼はふたばチャンネルで細々と流通していたキメこなちゃんと言うキャラクターを大々的に流用したことで、ふたばチャンネルの住民の怒りをかった。
この行為は一般に「著作権」の問題としてクローズアップされた。
つまり、キメこなと言うふたばチャンネルの住人たちが育てたキャラクターを無断で利用したと言うわけだ。
しかし本当は、この問題は、贈与ー返礼の概念で考えたほうが分かりやすい。
キャラクタの盗用であるなら、ふたばチャンネルから2chへの流出もあったが、特にそれは問題にならなった。
なぜなら、ふたばチャンネルと2chは、同じような文化を有する近いコミュニティだとみなされていて、その流出は盗用というより文化を育て、キャラクターを育てると好意的に解釈された。
しかし、梅沢の行為は、ネット住民になじみが無い現代美術コミュニティへの流出であり、それはふたばコミュニティ住民の逆鱗に触れた。
それは(キメこなちゃん)というCGMの関与するユーザーたちの、成果(贈与)を掠め取る行為に映ってしまったのだ。
この問題が、一応著作権の問題になった。
なぜなら、返礼が無いことを問題にしても贈与をもらって返礼やプレゼントを返さない行為に対する法的な罰則は存在しないからだ。

しかし、一方でプレゼントのお返しをしないことへの同義的な責任や怒りはついて回る。
そのために「著作権」の問題として、取り上げられる。

この件に関して、カオスラウンジは、ふたば住民に対して返礼を行ったか聞いて見れば良いだろう。

この見解に近いエントリーもある。
はてな匿名ブログに書かれた、■カオス*ラウンジは他のコミュニティから収奪を行うが故に非難されるがそれだ。

簡単にまとめるなら、漫画原作者、二次創作者は同じ作品のコミュニティに属しており、2次創作者の活動は(結果的に)作品の畑を耕す養分になるので攻撃されないと言う趣旨のものだ。
つまり、ある種の贈与ー返礼サイクルが成り立っているといえる。

この、贈与返礼と言うサイクルが2次創作を語る上でしばしば口に出される「作品に対する愛がある」と言う表現に繋がってくるのだろう。
作品に対する愛があるという表現は、その作品によって感銘を受けた(感動と言う贈与を与えられた)読者による返礼(二次創作を作る行為)だと考えれば理解しやすい。
だから、多くに二次創作者は自分の受けた感銘を作者や作品を中心としたコミュニティに還元するため赤字でも二次創作を作るのだ。

あなたが贈れるものは何ですか?

この論自体単なる評論だ。
でも、CGMと付き合いたい企業にとって、大事な視点を提供している。
それは、あなたが作り手に提供できるものは何かを常に意識せよと言うことだ。
CGMとユーザーと進めるにあたって、ユーザーを単なる安価な下請けのように扱うことは本当に避けなければならない。
一回目は上手く行っても永続的な関係を築けない。

企業の側にお金が無いならば、お金が無いなりに、礼を尽くして返礼をせねばならない。
必ずしも華美な贈り物だけが人の心を打つとは限らない。
幼児がプレゼントとして花の首飾りをくれるのも、十分プレゼントして意味がある。

大事なことは、企業は、身の丈以上の贈与を行うことだ。
そう考えると結局企業がCGMと付き合っても儲かることにならないと言う話に終わるのですが・・・・。
それでもそこに、金銭的な価値以上の豊かさを提供できる場が出来上がるだろう。

まとめ

CGMは、ユーザーから制作費をかけずにコンテンツを作ってもらえるため、企業にとっては一見魅力的に見える。
しかし、CGMは贈与経済としての側面を持っている。
そのため、企業はつき合い方を考えなければならず、必ずしも儲かるとは言えない。

贈与文化の例をメタファーにするなら、企業はポトラッチを行い、運営者として気前のよさをアピールしなければならず、むしろ儲からない。

参考資料

市場規範と社会規範の話が、贈与ー返礼の話に近い

伽藍とバザール

伽藍とバザール

伽藍とバザール

・ノウアスフィアの開墾・「魔法のおなべ」 エリックレイモンドのオープンソースの文化概論3部作。
オープンソースという無償の協力行動に対して、それがどのような規範から生じているかを論じている。
この視点は、ニコニコ動画やpixivといったCGMサイトを考える際にも有効である。

贈与論 他二篇 (岩波文庫)

贈与論 他二篇 (岩波文庫)

贈与論-マルセル・モース

南極点のピアピア動画 (ハヤカワ文庫JA)

南極点のピアピア動画 (ハヤカワ文庫JA)

南極点のピアピア動画に出てくる企業は明らかにドワンゴをモデルにしている。 この小説で信じられている世界は、贈与-返礼を基盤とした善意を信じられる世界で、それは二次創作の世界の基盤になっている。